手前
手前と言っても、「手前生国と発しますところ○○でございやす」その筋の話ではございやせん。
馬が走る(ダグでもキャンターでも)時には、歩法の種類として右手前(みぎてまえ)と左手前(ひだりてまえ)と言うものが発生します。
これは、文章にするとちょっとややこしくなってしまうのですが、ちょうど良い写真が遊馬のFacebook(5/10)にアップされていたので、使わせてもらいます。
モデルはカナエと言うポニーで、普段は食っちゃ寝、食っちゃ寝の彼女ですが、思わぬところで役に立ってくれました。
ズバリ、これが右手前の走法です。
この時、推進力を作っているのは左後脚です。
左後脚で地面を蹴り上げ、左前脚と右後脚を同時に着地させることでバランスを保ち、右前脚を地面に叩きつけ、次に左後脚により生まれる推進力を向ける方向を決めるのです。
つまり、右手前の時に右に回る場合は、右前脚を外側に着地させればスムーズにコーナリングできます。
逆に左に回る場合は、右前脚を内側に着地させれば左に回ることはできますが、スムーズではないですよね。
右手前の時は、推進力を作るのは左後脚ですもんね。
左に回る時は、手前を左に変えて、右後脚で推進力を生み出す方が自然ですよね。
ところが、馬の中には手前を変えるのが苦手なタイプもいて、有名なところでは伝説の名馬オグリキャップがそうでした。
オグリキャップはコーナーがどうであろうと、ずっと右手前で走っていました。
ですから、左回りの東京競馬場だとコーナリングが甘く、また、ずっと左後脚に頼っているわけですから最後に疲労が溜まるとまっすぐに蹴り上げられなくなり、外に寄れるような格好になることがありました。
武豊騎手は、オグリキャップのそのウィークポイントを突いて1989年の天皇賞(秋)をスーパークリークで勝ったと言っていました。
その武豊騎手が、1990年12月23日『有馬記念』。
オグリキャップの引退レースに騎乗することになりました。
その二走前、オグリキャップはデビュー30戦目にして、初めて掲示板(5着以内)を外し、前走のジャパンカップでは全く見せ場もなく11着に敗退していました。
着順もさることながら、その覇気のないレース振りに多くの人が「オグリは終わった」そう思ったことでしょう。
しかし、武豊騎手はオグリキャップを左手前で走らせることができたら、巻き返すことが可能ではないかと考えました。
有馬記念が行われる中山競馬場は右回りですからコーナリングは問題ありませんが、スタートからゴールまでずっと右手前では左後脚が保ちません。
コーナーを右手前で回り、直線を左手前で走れば、余力のある右後脚により推進力を生み出すことができます(一般的に競走馬はみなこの法則に従って手前を変えます)。
しかし、調教で跨がり何度教えようとしても、オグリキャップは左手前では走ってくれなかったそうです。
レース当日、中山競馬場には17779人の大観衆が訪れました。
競馬がブームであったと言うこともありますが、やはり多くの人たちは「終わった」と言えど、一つの時代を作った名馬オグリキャップの最後の勇姿を目に焼き付けたいと思っていたことでしょう。
レースはオサイチジョージが引っ張り、2番手にこちらも現役最後のレースのヤエノムテキ。
3番手にミスターシクレノンとメジロアルダンが並んでいきます。
その後からリアルバースデー、オグリキャップ、メジロライアン辺りが好位集団を形成して、内で1番人気のホワイトストーンが少し掛かり気味。
こうして馬名を挙げているだけで、胸が熱くなってきます。
そして、レースは3~4コーナーの勝負所に入ってきます。
「さあ、澄み切った師走の空気を切り裂いて、最後の力比べが始まります!
さあオグリ!オグリが上がっていった! そして、その内側にす~っとリアルバースデー!
リアルバースデー、さあオグリが行った! 武豊が行った!さあ第4コーナー!内でオサイチ頑張った!
そしてアルダン!アルダン!アルダン先頭か! オグリ先頭に立つか!
第4コーナー回って直線!大歓声です! さあオグリキャップ!先頭に立つか!先頭に立つか!
オグリキャップ先頭に立つか! さあ内で頑張った!オサイチ頑張った! オグリキャップ!
オグリキャップ先頭か! オグリキャップ先頭か! 200を切った!オグリキャップ先頭!(ライアン!)
オグリキャップ先頭!オグリキャップ先頭! そして、そして、(ライアン!)来た来た!ライアン来た!
ライアン来た!しかし、オグリ先頭!オグリ先頭! ライアン来た!ライアン来た!オグリ先頭!
オグリ1着!オグリ1着!オグリ1着!オグリ1着! 右手を上げた武豊!オグリ1着!オグリ1着!
見事に引退レース、引退の花道を飾りました! スーパーホースです!オグリキャップです! 」
この時、実況を務めたフジテレビの大川アナウンサーは、興奮の余り「右手を上げた武豊!」と叫びましたが、武豊騎手が上げたのは左手です。
内からホワイトストーン、外からメジロライアン、内外から世代交代の波が押し寄せると、何とオグリキャップは手前を左に変え、これを振り切ったのです。
武豊騎手はその事を讃え、オグリの左肩をポンと叩き、そのまま大歓声に応えるように左手を突き上げたのです。
しかし、まぁ、筋骨隆々のオグリキャップと贅肉盛々のカナエ。
どっちも“馬”ですよ。
ご自分の容姿にお悩みの方…それは贅沢ってもんですよ。