送別会
夕べは、遊馬のオープニングスタッフ・塩澤さんの送別会がありました。
1999年5月1日、遊馬の駐車場で初めて顔を合わせた僕と彼女は、それから一週間、毎日場内の番線処理と石拾い。
遊馬の敷地というのは、元々ぶとう畑でした。
そのぶとう畑が放置された格好で野地となっていましたので、ぶとうのツルを巻きつけるための番線が、そのまま地面に落ちて、土(泥)の下に埋もれているような状態でした。
それをそのまま放置しておいたら、馬が脚を引っ掛けて怪我をするおそれがありますから、二人でバールをずるずる引きずりながらを敷地内を歩き、引っかかりがあったら、二人で引っこ抜く。
石もそこいら中にゴロゴロしていたので、一輪車に石を乗せて片付ける。
「あったまにきた。完全に頭に来た。殺す気なんだ」
…なんて、『北の国から』第二話みたいなもんですよ(笑)。
来る日も、来る日も、そんなことばかりさせられていましたから、「ここって、乗馬施設なんだよね?このまま土木作業で一年終わらないよねぇ?」なんて、二人で話したりもしました。
馬たちは、受け入れ準備が整うまで、別の場所に居たんですが、そのうちの一頭が「具合が悪い」というので、オーナーに連れられて現場に向かいました。
オーナーは助かる見込みがあるのなら、治療を手伝わせようと思ったみたいですが、僕らが着いたときにはもう手遅れでした。
オーナーは「見ない方がいいから、車で待ってろ」といいましたが、こういう仕事をする上では、避けることのできない現実だからと思い、僕がその馬の方に歩みを進めると、彼女も着いてきました。
そして、こう言いました。
「馬って死んだらどうするんだろう?穴掘って埋めたりするのかなぁ…。(馬を埋めるための穴を)『掘れ』とか言われないよねぇ…。」
なに心配してんだ?コイツ(笑)
まぁ、そんな調子で、おおよそ“女らしさ”というものがなく、当然可愛げもない。
そういう僕も、年下にもかかわらず言いたい放題いいますから、彼女にしたら生意気だったと思います。
そんなわけで、現役時代はある意味“犬猿の仲”だったかも知れません。
ただ、お互いサッパリしているので、仕事には支障がなかったですね。
そんな猿と犬も、時間が経てば、二人にしかない景色を持つ“戦友”です。
4頭分の繋ぎ場と、受付小屋から始まった遊馬。
レッスン用のパドックをつくり、繋ぎ場を増やし、馬小屋をつくり、馬を増やし、馬を育て、馬と別れ、みんながやれることを精一杯やり、出たり入ったり大勢のスタッフによって作り上げられてきたのが今の遊馬です。
そして、その営みを根幹から支えて下さっているのが、ご利用いただいているお客様ということです。
ですから、お客様には感謝してもしきれません。
しかし、今回だけは勘弁して下さい。
「今の遊馬があるのは、アナタのおかげです。ありがとう塩澤さん」