モニカ
2001年の7月上旬。
僕がトレッキングの先導で、お客さんを連れて敷地内の外周コースを回っている間に、一頭の芦毛馬が馬運車から降ろされ、丸馬場(丸く柵で囲われた放牧地)に入れられていました。
僕は正直、馬の良し悪しはあまり分からないのですが、この馬は一目で気に入りました。
キレのあるシャープな顔立ちで、乗り味も素晴らしかったです。
彼女は“モニカ”と名付けられ、夏休みの営業に向けてトレーニングを重ねていました。
そんな折、フジテレビから番組撮影の協力の依頼がありました。
内容は、吉本興業のお笑いコンビ、“雨上がり決死隊”や“ガレッジセール”らがクイズに答え、不正解だと罰ゲームとして馬に引きずられるというもの。
その撮影場所として遊馬を使用し、罰ゲーム用の馬を用意して欲しいということでした。
(繁忙期のため)一度は断ったのですが、再び連絡があり、「十分な謝礼を用意するので、何とかお願いします」と言われ、引き受けました。
用意するのは二頭、一頭は経験豊富なイブ。
もう一頭はモニカに白羽の矢が立てられました。
僕は「モニカならやれる」と思い、翌日から撮影用の調教を開始しました。
まずは、引きずられるロープに対する恐怖感を取り除き、今度は後ろから負荷がかかることに慣らし、実際に人を引きずる訓練もしました。
どれもこれも難なくクリアし、この時点で僕に相当なおごりがあったと思います…。
本番前日。
「最後の調整」と、本番で使用する仕掛けロープを装置し、いきなり乗馬し、人(スタッフ)を引きずり、しばらくしてからロープから手を放してもらう、という本番さながらの練習をしました。
いきなり、何のためらいもなしに。
彼女は興奮状態に陥りました。
僕は下馬し、彼女をなだめました。
ここでロープを外していれば、何の問題もありませんでした。
落ち着きを取り戻したかに見えた彼女は、再び暴れ始めました。
今度はみるみるうちにロープが絡まっていきました。
後肢を拘束された彼女が倒れ込みました。
ここでロープを切っていれば間に合ったかもしれませんでした。
しかし、肝心なところで冷静さを失っていました。
懸命に絡まったロープをほどこうと苦戦していると、再び彼女は身体を大きく揺らし、グッと立ち上がりました。
あちこちから出血が見られました。
ただ、そんなものはどうでもよかった。
重要なのは、地面から浮いた彼女の左後肢でした。
急いで獣医さんを呼びました。
彼女を助けるためではありません。
彼女を殺すためです…。
「人間は都合良く『安楽死』っていうけど、この(注射器)中に入っているのは毒薬だからね。これから、この注射を打って、この馬を毒殺するんだよ。いいね?」
獣医さんから、そう言われました。
彼女の首筋に注射が打たれました。
ガタガタと震えながらも、懸命に立ち続けようとする彼女でしたが、やがて力尽き、地面に顔を叩きつけました。
その刹那、彼女の生に対する執念が、激しいエンジン音のように鳴り響きました。
ブルル・ブルル・ブルル・ブルル・ブルル。
規則正しく繰り返したのち、激しくケイレンし、瞳孔が開きました。
口から泡が吹き出し、ブルル…ブルル…ブルル…ブル…ブル……。
そして、彼女は生きることを止めさせられました。
今日はモニカの祥月命日です。
僕にとっては、自らの慢心で彼女を殺したこの日は、とっても大事な大事な記憶です。
(合掌)