やっぱり馬が好き?
「馬が好きなんですねぇ」と聞かれたとき、「そうですねぇ。ある意味、わが子以上ですね」なんて答えを期待しているのであろうと察しつつ、「いやっ、そうでもないッスよ」と言ってやるぜぇ~。
わいるどだろぉ。
まぁ、好き嫌いの定義の問題もあるのですが、プロとして馬と付き合う以上、好きだの嫌いだの言っているようでは大した仕事はできないんじゃないでしょうか。
僕らに要求されるのは好き嫌いの感情ではなく、結果を出す覚悟だと思っています。
また、「好き」という感情は人の心を明るくし、支えとなり、前進していく大いなるエネルギーになります。
ただ、コントロールを間違えると大事故を引き起こす原子力発電所のようなものです。
なぜなら、「好き」の裏には「嫌い」という感情が潜んでいるものだからです。
ほら、嵐が好きな人がSMAPを嫌いだったり、アントニオ猪木が好きな人がジャイアント馬場を嫌いだったり、アーノルド・シュワルツェネッガーが好きな人がシルベスター・スタローンを嫌いだったり…。
僕はプロ野球の北海道日本ハムファイターズが好きで応援していますが、感情のコントロールを誤ると、相手チームを“敵”と見なしてしまいます。
しかし、相手チームがなければ競技が成り立たないわけですから、できる限りリスペクトしながら試合を観戦するようにしています。
ですから、「この馬が好き」という感情をもてば、かなり高い確率で「この馬は嫌い」が芽生えるのではないでしょうか。
また、もしも本当に「好き」だと言うのなら、その馬の生涯の幸せを考えるべきだと思っています。
それは、“自分が死んだあとのことも考えて”です。
そういった覚悟なくして、「馬が好きです」と易々と言う人は、少なくとも僕は好きではありませんし、僕にその覚悟があるのか?と問われたら、YESと言い切れません。
だから、「いやっ、そうでもないッスよ」。